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ジャカルタの思い出(4) グロラ・ブン・カルノ [Jakarta]

Gelora Bung Karnoグロラ・ブン・カルノ公園(略称GBK)を紹介する。
(ここの写真は2016年4月16日に撮影したものなので、2018年8月18日から始まるアジア大会のための再整備の内容は含んでいない。)





名称の由来だが、Geloraがこの周辺の地名で、Bung Karnoはスカルノ初代大統領の愛称とのことだ。
「インドネシア人は苗字はない。」と2010年ごろに教わった。というのは、仕事で名刺交換すると名前だけが記載されている人がほとんどだったのだ。苗字の位置には自分で思いおもいの名前を書いている人が多かった。
しかし、2016年ごろには名刺交換すると、大抵苗字らしきものが書いてある。西洋化が進んで、苗字を持つように意識が変化していったのかな。
実際、同じ名前の人が多く、区別をつける必要もあると思う。
ただし、同じ苗字の人も多い。
インドネシア人は、自己紹介で名前を述べ合った後、出身地や祖先の由来を紹介し合うようだ。
同名の人が多いから、「この太郎さんは札幌生まれで祖先は大阪の人で、あの太郎さんは東京生まれで祖先から東京の人」のように区別するのではないかと想像する。


脱線のついでだが、スカルノ・ハッタ空港の名前を見ると「スカルノ ハッタ」さんという歴史上の一人物が存在したかのように思えるが、実はスカルノさんとハッタさんの二人の偉人の名前なのである。
スカルノさんが初代大統領で、ハッタさんが初代副大統領。
この二人が両輪となって、独立運動を達成した。


写真にあるような地図がグロラ・ブン・カルノ公園の全体だ。この地図は上が北を向いている。東側にある二等辺三角形の頂点がスマンギ交差点だ。
スマンギ交差点から南西へ行く道がスディルマン通りになる。

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この公園の中央に76,000人収容のサッカースタジアムがあり、周辺には、テニスコート、競泳用プール、バスケットボールコート、ソフトボール場、ゴルフ練習場など、スポーツに関係するものは全てある。
地図で見るとポンと三角形があるだけだが、その敷地の広さはまさに巨大である。
1962年のアジア大会開催時に整備されたとのことで、選手村としてホテルも整備されている。


この日は土曜日。スディルマン通り側からスタジアムを見る。門が閉まっていて、人も見えないので、入れないのだろうと思う。奥の方に大きな銅像が見える。

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振り返って、この位置からプラザスナヤン方面を見ると、ちょうどメイバンクのビルが正面にある。右手前がセンチュリーホテル(旧アトレットホテル)だ。名前が変わったらしいが、旧名で呼ぶことも多い。
左にそびえているのが、ジャカルタのAKB48であるJKT48劇場が入るFXモールの高層住宅である。

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スタジアムの方へ歩いて行くと、人が通れる隙間だけ門が開いたので、中に入って見た。

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もう一つ門があり、そこも人が通れる隙間分だけ開くので、体を通して入って見た。
そうしたら、子供達がスイスイとローラースケートに乗っている。
どうやら、入ることに問題はないらしい。

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ここまで近いと、競技場全体を一枚の写真に収めるのは難しい。

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さすがにグラウンドに入る隙間の空いた門はなかった。

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プラザスナヤンのビル群を臨む。
スタジアムの周りを巡ると、周りには散策している人がたくさんいる。
ダンスを練習する高校生や自転車の整備をする若者、子供たちのサッカー教室などなど。
みんなあの隙間から入ったのだろうか。

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ここにも矢を放つ勇者の像がある。彼の名は?

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この道をまっすぐ行ってグロラ・ブン・カルノ公園を後にした。
もちろん、出るのは門の隙間からだ。

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ジャカルタの思い出(3) モナス [Jakarta]

モナス(MONAS)へは2度行った。
モナスの正式名称はMonumen Nasionalで独立を記念する塔である。
インドネシア人のジャカルタの観光名所になっている。
外国人観光客は少ないようだ。
インドネシア人の心のシンボルでもあるらしく、デモがある場合は、モナスの広場やその周辺で行われることが多いようである。
周辺は主要官庁街になっているため、デモが訴えたい対象が近いということもあるかもしれない。2017年5月7日に行った日は、展望台の入り口まで行ったが、展望台に登るためには14時までに入るか、16時以降に並ばないといけないという。14時から16時は入場禁止で、午前の訪問者を吐き出すということらしい。訪れたのは、14時20分。モナス広場の入り口から塔までの距離はかなりある。炎天下をはるばる歩いて来たのに、もう一往復する気にはならないし、上がるなら夜景より昼間のジャカルタを見たい。
この日はやむなく退散し、同年6月24日に登頂に成功した。
ここでは、両日に撮影した写真を用いてモナスを紹介する。






地図で見るとモナスの周囲にある広場はほぼ東西南北各辺がある正方形になっている。そして、その正方形の中心に塔が立っている。
ジャカルタの日中の気温は30度を下回らない。
正方形の一辺の中点ぐらいに門があれば、そこからのアクセスが塔への最短距離である。対角位置から入るのは最も歩く距離が長い。
ちょうどタムリン通りのバス停は正方形の西辺の半分くらいのところにある。
降りて、門を探すが、交番があるだけで門が無い。
愕然としながら、トボトボと西南の角へ向かって歩く。

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正方形の角にある門を通ると、対角線の道がまっすぐと塔へと向かっている。
確かにこのようにアクセスすることで、塔の威厳が伝わってくる。
単調な景色を塔へ向かって歩いていくので、距離を感じる。
案外遠い。

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ようやく近くまで来て、その大きさに目を見張る。

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塔のすぐそばまで寄って、見上げる。
この近くに入り口があると思いきや、なんと入り口は少し離れた位置に階段があり、地下に降ろされる。
地下の切符売り場で切符を購入する。切符といっても電子マネー普及促進のためか、入金すればコンビニでも使えるICカードである。

順路として、塔の地下に案内される。太古からインドネシア共和国が独立するまでの歴史に関するものである。ここへ来て初めて認識したことだが、インドネシアの独立の道のりは長い。
太平洋戦争が1941年12月7日から1945年8月15日なのに対し、インドネシアの独立戦争は、それよりも長い。
もっともインドネシア人にとっては、350年のオランダ植民地支配が戦いの連続だったかもしれない。
1945年8月17日にスカルノ大統領が独立宣言をしたものの、オランダとイギリスは植民地を回復しようと試みたのだ。
1951年8月15日まで、現在のようなインドネシア共和国も形にならなかったのだ。
見ごたえ(読み応え)のある展示で、なぜインドネシアの建国5原則(Pancasila パンチャシラ)の背景もよく理解できた。
5原則を簡単に簡単に書くと、
1. 神への信仰(神を信じること。どの神でも良い)
2. 人道主義(道徳を重んじること)
3. インドネシア第一主義(インドネシアの名の下に統一すること。愛国心を持ち、宗教や民族が違ってもインドネシア人を愛すること)
4. 合議制民主主義(全員の意見が一致するまで議論を尽くすこと。一人の意見であっても尊重すること)
5. 社会的公正平等主義(協力しあって良い社会を作り上げること)
になる。
国土面積が日本の4倍、国民が日本の2倍ある上に多民族国家を統一するために考案されたのだろう。
この五原則を知って、インドネシア人と交流すると、彼らが日常的にこの五原則に抵触しないように心がけていることがよくわかる。

さて、インドネシア建国の歴史が頭に詰まったところで、階段で屋上(塔の足元にある台になっている部分)に上がる。
ここに、展望台へのエレベーター乗り場がある。エレベーターに乗るのに、塔を取り囲むように行列になっている。
屋上なので、ほとんど日陰がなく、列を守ろうとすると、日差しの下に立たされる場所もある。


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写真は屋上からの風景で、中央やや左にイスティクラル・モスクのドームが見えて、中央やや右にプルタミナの本社が見える。プルタミナの本社が見える同じ敷地に日本軍政監部があったという。日本軍が統治していた当時の軍政府があったということか。

エレベーターの列を整理しているのは、ボランティアだろうか、威勢の良いラフな姿のおじさんだ。
五原則の精神に則って、列を乱して横入りする輩はいないのだが、相互の順序は変わらなくてもだらけた列になってしまうのである。
整理係は私と同行していた老人2名を見つけると、二人を連れて、建物内のエレベータホールに椅子を出して、座らせてくれた。
私は列に残って順番を待っていたが、エレベーターホールに着く頃には、整理のおじさんと連れの老人は仲良くなっていた。
というのも、この整理係のおじさんは日本語が堪能なのだ。
「降りるときも手伝うから声をかけてくれ」と言い残して、エレベーターに乗せられた。

我々は展望台に上がる。

塔から広場の西南の角を見下ろす。ロータリーがあって左右に向かう通りがタムリン通りである。
この通りを左へ行くと、南へ下りていってジャカルタ随一のビジネス街へとつながる。
ロータリーのある交差点の左に見える白いビルの手前にあるとんがり屋根のビルが日本軍司令部に使われていたという。現在はKementerian Energi dan Sumber Daya Mineral Republik Indonesiaエネルギー鉱業省庁舎。

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次は北東の角である。屋上から見えたイスティクラル・モスクとプルタミナを見下ろす。
プルタミナのロゴがあるビルの左下に低層のとんがり屋根の建物が見える。
ここに日本軍政監部があったという。
イスティクラルの右側に高架橋の線路が南北に走っていて、イスティクラルの最寄駅であるJuanda駅も見える。

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そのまま南東の角に目を移すと、Gambir駅が見える。
インドネシアの鉄道は、どうやら鉄道(レール)の管理と列車の管理が異なる企業のようだ。
写真に写っている線路は、バンドンへ行く長距離列車を運行する会社の列車と首都圏近郊の通勤電車を運行する会社が共同利用していて、それぞれの車両が代わる代わる通り過ぎて行く。
近郊電車はJuanda駅を利用し、Gambir駅は通過する。
長距離列車はGambir駅をターミナルとしていて、Juandaには止まらない。
Gambir駅は長距離列車利用者用のレストランがあったり、大きな荷物を持つ乗客がいたりとターミナルの雰囲気がある。
Monasに鉄道でアクセスしたい場合は、Gambir駅が最寄駅というのは間違いではないが、ジャカルタ市内から鉄道に乗って、Gambir駅で降りるのは不可能で、Juanda駅が最寄ということである。

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さて、展望台からの眺めを一通り楽しんだ後、エレベーターに乗って下へ降りる。「整列係のおじさん、声かけてくれといっていたけど、どうする?降りるのはもう助けてもらわなくても大丈夫そうだけど。」
三人で話しながら下りて行くと、おじさんが待っていた。
良い所に連れていってあげるからついておいで。と言う。
日本語間違っているんじゃないだろうか、いい所に行くのではなく、特別なルートで屋上から下まで降ろしてくれるんじゃないの?などと心の中でぼやく。
良い所は案外近かった。
エレベーターホールのある屋上階で、屋上をぐるりと回り、エレベーターホールのちょうど裏側にある扉に入る。
すると、小さな階段があり、それを昇り始めた。
エエ?どこに向かってるの?
1階上がると、大きな客席が段状になった集会場のような部屋に出た。まばらにインドネシア人観光客もいて、休んでいる。
壁にはローマの休日のオードリーヘプバーンが噛まれそうになったライオン、とはいっても金色の像がある。
整理係のおじさんは我々に、ライオンの正面の席に座れと言う。自分は少し裏に回るが、しばらくそこで見ていろ、という。

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そして、おじさんが姿を消すと、インドネシア国家が流れてきて、ライオンの口が開きだした。
国家とともに厳粛な声が生命を読み上げる。
ライオンの口の中にあるものが、スカルノ氏の直筆の独立宣言分であり、声の主はスカルノ氏だと言う。

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ライオンの横には大きなガルーダの像がある。
ガルーダはワシだと思っていたら、空想上の動物だと言う。
そして、胸にある紋章に描かれている図柄は5つあり、それぞれがパンチャシラの各原則のシンボルであると言う。

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パンチャシラの五原則はスカルノ氏が最初に考案したが、その後一部改正されたらしい。ただし、いずれも一言にまとまっておらず、散文になっていてわかりにくい。
散文であるために、色々な解釈もできてしまう。
その辺に実にインドネシア人の気質がよく表れている。インドネシア人は物事を一言でいうことが下手だし、一言にまとめることは悪いことのようだ。
一言にするということは、色々な部分を割り切って、一言で表現するわけだが、彼らはそれを許さない。一言で言おうとしない。
それは、真面目な気質の裏返しでもあると思う。



入れるところがなかったので、おまけになってしまったが、これが、広場の北面にある裁判所。どこかで見たことがあるようなビルである。
ワシントンにもあったりして。

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ジャカルタの思い出(2) 跳ね橋 [Jakarta]

今日は2017年6月17日に訪れた跳ね橋(Jembatan Kota Intanインタン街の橋)を紹介する。





ゴッホがオランダで題材にしたものと同じ独特な形の橋である。アムステルダムを始め、ヨーロッパにはまだ数多く残っているが、遠く離れた東南アジアでは、珍しいだろう。

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この橋はジャカルタの観光スポットとして保存されているようだ。
橋を渡ろうと思うと金網の門が閉ざされていて、ガードマンがいる。
よく見ると鍵はかかっていない。
門を押したら、ガードマンが気がついた。
「写真撮って良い?」と聞くと、「良い」とも「ダメ」とも言わない。
特に止められないので、入って行く。

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橋は木造だが、手入れがされていないのが残念。
カラカラに乾いていて、火の気があったら燃え落ちてしまいそうだ。

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橋の中腹は高く盛り上がっている。
他にも何人か一眼レフでシャッターを切っている人がいる。橋を撮りに来たのだろうか。
カップルもひと組いる。
ジャカルタの若い子たちも、渋いところに目をつけるようになったなぁ、などと思って見ていると、どうやら、カメラマン達とカップルはグループのようだ。
結婚式の準備の写真撮影?いや、それならカメラマンは一人で、光を当てたリメイクの係がいるはずだ。
ということは、このカップルはモデルで、カメラマン達が雇って撮影会をしているんだろう。と、勝手に結論をつけた。そこまで考えたら、このカップルが本当のカップルか仕事上のカップルなのかという新たな疑問も湧いたが、どうでもよくなって来た。

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橋の跳ね上げは鎖で巻き上げる機構だ。
木造部分は焼け落ちそうだったが、鎖も手入れされておらず、サビで切れてしまいそうだ。
手入れがされていないということは残念ではあるが、逆にいうとありのまま残っているということである。そう考えると貴重な存在だと思いまじまじと眺めてしまう。

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しかし、長居したくない。映像ではわからないが、臭いのだ。川を下水の代わりにしている市民がいるのだろう。街の方(南)を見ると、川に緑が見える。こんな臭い川に可哀想な植物だ。

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反対側(北)を見ると橋に平行に線路が走っている。(北を向いて逆光なのは南半球だから?)
逆光だが、電車が走っているのがわかる。5分と経たないうちに上りか下りの電車が走る。
見ていると、車両は全て日本製だ。
あ、元山手線だ、元東西線だ、元東横線だ、元千代田線だと、これもまた飽きない。

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橋の解説の看板があった。
この橋はオランダ東インド会社によって1628年に建設された。
この川の両岸は片側(おそらく西側)がオランダ砦、反対側(おそらく東側)がイギリス砦になっていて、両者をつなぐ橋だった。
1628年と1629年に土着民族による襲撃で。壊された。
しかし、1630年に再びオランダによって建設された。
当初は跳ね橋ではなかったものを、1938年に船が通過できるように改造された。

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ガードマンは金銭を一切要求せず、売り子から受け取ったジュースを飲みながら見送ってくれた。

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ジャカルタの思い出(1) イスティクラル・モスク [Jakarta]

インドネシア滞在中に撮影した写真を、当時のことを思い出しながら紹介する。
今回は、ジャカルタ大聖堂(教会)とイスティクラル・モスク。写真は全て2017/4/24に撮影されたものである。
インドネシア語の名前はジャカルタ大聖堂がGereja Katedral Jakarta、イスティクラル・モスクがMasjid Istiqlalである。ちなみにインドネシア語でGerejaは教会、Masjidはモスクを意味する。



地図で左側にIstiqlal、右側にKatedral Jakartaが見える。イスラム教の国である。IstiqlalはKatedralに比べて格段に大きい上に、堀で守られているかのように見える。
不思議なのは、両者の近さである。各々の正門は同じ通りでほぼ正面にある。観光客にはありがたいが、エルサレムのようなことが起こらないか心配である。

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まず、ジャカルタ大聖堂へ行く。立派な教会だ。塔の上の方は鉄骨でできている。おそらく、長い歴史の中で倒壊し、鉄骨で復旧されたのだろう。
モスクはずんぐりむっくりのフォルムが多いのに対し、この教会を見ていると、天を突き刺さんばかりの鋭さが感じられる。先端が鉄骨でできていることで、より鋭く感じる。
インドネシアの平等平和主義のもとでも、少数派として生きているキリスト教信者の心境を垣間見るかのようである。

内部は典型的な三郎形式の教会で、平面形状も十字になっている。

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壁画が丹念に描かれている。おそらく、オランダ人がはるばるこの地まで来て布教活動をした賜物だろう。

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壁画の下にカーテンがと思って近づいて見ると、こちらは壁に立体的に描かれたカーテンだった。
上を見上げると、天井は板張りが美しい。

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きょろきょろ探してようやく見つけたステンドグラス。なんとなく教会の必須アイテムだ。



さて、教会を後にして横断歩道を渡ると、イスティクラル・モスクの正門だ。
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モスクは基本的には人々に開かれていて、来訪者を拒むことはないのだが、総本山だけに、緊張感がよぎる。
入り口は黒山の人だかりだ。

後でテレビニュースを見てわかったのだが、この日はムハンマド昇天祭の祝日。
イスティクラル・モスクはインドネシアのイスラム教の総本山なので、各地から信心深い信者が集まり、礼拝が行われ、その様子がニュースで放映されたのだ。
私が入った時刻は、全体礼拝の30分ほど前。
会社が休みで、フラッと来たのだったが、外務省に叱られそうな行動だった。
以後、祝日がある場合は、何の祝日か調べるようになった。
日本人としては「祝日=危険」の意識は持ちにくいよなぁ。


そうとは知らず、外回りのガードマンに声をかけると、
「何人?宗教は何?」モスクではよく聞かれる質問が返ってくる。
「日本人だけど、中を観光できる?」と応える。
「日本人か。宗教は何?イスラム教じゃないなら、入り口はあそこだから、そこのガードマンに日本人だと言えば、中を案内してくれるよ。」
「仏教かなぁ。ありがとう。」中を案内してくれるって聞こえた気がしたけどと、半信半疑で入り口に向かう。


黒山の人だかりの一部は下足を入れる袋を配る子たちだった。中に入るには裸足にならなければならず、靴を入れる袋をくれるという。
袋を受け取ろうとすると、「チップくれたらね。」という。
「いくら?」
「決まってないよ。2000は欲しいな」
というので、2000渡すと、「ありがとう」と言って次の人を探しに背を向けた。


入り口のガードマンは3人ぐらいで、入場者をさばくのに必死だ。
「中を見たい」というと、迷惑顔で、「じゃあ俺と一緒に来てくれ」と一人が手招きする。

案内は慣れているようで、最初にコースの概要説明があった。
概要説明の最後に「僕の案内はそこの廊下の終端で終わりで、そこでお別れだ。その時に心付けを渡してくれればいい。」
ただじゃ済まないか。心付けの相場は分かっているが、こんな場所だから特別価格かもしれない。「観光客だからよくわからないんだけど、いくらぐらい?」
「決まった金額はないよ。気持ちをくれれば良いんだよ。」と教えてくれない。おっしゃる通りだけどもね。



ようやく中へ入る。
聖堂に案内されたが入り口の黒山の人だかりが嘘のように中の人はまばらだ。
入場した信者たちは、直接聖堂に向かうのではなく、沐浴場へと案内されていたのだ。
ここに見えるのは、沐浴を済ませた人達だけだ。
床に境界線が引いてあって、異教徒はドームの下へは入れない。また、男女で礼拝エリアがゾーニングされている。

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空間は巨大だ。ドームの直径はインドネシア独立の1945年にちなんで45mだという。

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脇にはバルコニーが4層見えるが、これらも礼拝スペースで、1階と合わせて、計5層の礼拝スペースがある。これは、インドネシア建国の精神(Pancasilaパンチャシラ)が5箇条であることに因んでいる。
5層全てで、6万人が同時に礼拝できるという。

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ガードマンが2階のバルコニーも案内してくれた。

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外部にも礼拝スペースがあり、それらすべてを合わせると、なんと20万人が同時に礼拝できるという。
ニュースで見たのが大人数の同時礼拝だが、テレビで見ても圧巻だ。

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東南アジア最大のモスクだ。世界最大はメッカにある。

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完成は1978年で、スハルト大統領の時代だ。
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約束(?)の場所でガードマンに20,000ルピアを渡すと、中身も確認せず、「ありがとう」といって、入り口の方へ戻って行った。
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所沢・川越の羽田空港バス [空港]

狭山から空港に行く場合、所沢か川越から空港バスを利用すると便利だ。
運行会社が複数社に跨っていて、一括して調べられないので、ここにまとめてみた。
今回は羽田空港へ行く場合。



  • 羽田 -> 所沢(東所沢経由)
    羽田空港国際ターミナル07:5509:3511:2512:2513:25
    羽田空港第2ターミナル-09:4511:3512:3513:35
    羽田空港第1ターミナル-09:5011:4012:4013:40
    所沢駅東口09:4511:2513:1514:1515:15
    1,540円
     
    羽田空港国際ターミナル13:5514:3515:0015:2515:55
    羽田空港第2ターミナル14:0514:4515:1015:3516:05
    羽田空港第1ターミナル14:1014:5015:1515:4016:10
    所沢駅東口15:4516:3016:5517:2017:50
    1,540円
     
    羽田空港国際ターミナル16:2516:5517:2517:5518:25
    羽田空港第2ターミナル16:3517:0517:3518:0518:35
    羽田空港第1ターミナル16:4017:1017:4018:1018:40
    所沢駅東口18:2018:5019:3020:0020:20
    1,540円
     
    羽田空港国際ターミナル18:5519:2519:5520:2520:55
    羽田空港第2ターミナル19:0519:3520:0520:3521:05
    羽田空港第1ターミナル19:1019:4020:1020:4021:10
    所沢駅東口20:4521:1021:3021:5522:25
    1,540円
     
    羽田空港国際ターミナル21:2521:5522:2523:25
    羽田空港第2ターミナル21:3522:0522:3524:35
    羽田空港第1ターミナル21:4022:1022:4023:40
    所沢駅東口22:5523:2523:5024:50
    1,540円
  •    
  • 羽田 -> 本川越(川越経由)
    羽田空港国際ターミナル09:1012:2515:0016:0017:25
    羽田空港第2ターミナル09:2012:3515:1016:1017:35
    羽田空港第1ターミナル09:2512:4015:1516:1517:40
    本川越駅11:0514:2016:5517:5519:30
    1,750円
     
    羽田空港国際ターミナル18:5020:2021:20
    羽田空港第2ターミナル19:0020:3021:30
    羽田空港第1ターミナル19:0520:3521:35
    本川越駅20:4021:5022:50
    1,750円
  •    
  • 羽田 <- 所沢(東所沢経由)
    所沢駅東口04:3005:0005:3006:0006:40
    羽田空港第2ターミナル05:4006:2006:5507:4508:40
    羽田空港第1ターミナル05:3006:2507:0007:5008:45
    羽田空港国際ターミナル05:5506:3507:1008:0008:55
    1,540円
     
    所沢駅東口07:4008:4009:4010:4011:40
    羽田空港第2ターミナル09:4010:3511:1512:1513:15
    羽田空港第1ターミナル09:4510:4011:2012:2013:20
    羽田空港国際ターミナル09:5510:5011:3012:3013:30
    1,540円
     
    所沢駅東口12:4013:4014:5016:1017:30
    羽田空港第2ターミナル14:1515:1516:2517:55-
    羽田空港第1ターミナル14:2015:2016:3018:00-
    羽田空港国際ターミナル14:3015:3016:4018:1019:20
    1,540円
     
    所沢駅東口18:4020:30
    羽田空港第2ターミナル--
    羽田空港第1ターミナル--
    羽田空港国際ターミナル20:3022:10
    1,540円
  •  
  • 羽田 <- 本川越(川越経由)
    本川越駅04:2005:2006:2008:4014:40
    羽田空港第2ターミナル05:3006:4508:2010:4016:30
    羽田空港第1ターミナル05:3506:5008:2510:4516:35
    羽田空港国際ターミナル05:4507:0008:3510:5516:45
    1,750円
     
    本川越駅17:00
    羽田空港第2ターミナル18:50
    羽田空港第1ターミナル18:55
    羽田空港国際ターミナル19:05
    1,750円

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所沢・川越の成田空港バス [空港]

狭山から空港に行く場合、所沢か川越から空港バスを利用すると便利だ。
運行会社が複数社に跨っていて、一括して調べられないので、ここにまとめてみた。
今回は成田空港へ行く場合。


  • 成田 -> 所沢(東所沢・和光市経由)
    成田空港第3ターミナル07:2508:3510:0511:1515:25
    成田空港第2ターミナル07:3008:4010:1011:2015:30
    成田空港第1ターミナル07:3508:4510:1511:2515:35
    所沢駅東口10:1011:2012:5014:0018:10
    3,100円
     
    成田空港第3ターミナル16:3518:2520:35
    成田空港第2ターミナル16:4018:3020:40
    成田空港第1ターミナル16:4518:3020:40
    所沢駅東口19:3021:1023:10  
    3,100円
  •    
  • 成田 -> 川越駅西口
    成田空港第3ターミナル08:0509:3510:4513:3514:55
    成田空港第2ターミナル08:1009:4010:5013:4015:00
    成田空港第1ターミナル08:1509:4510:5513:4515:05
    川越駅西口10:2011:5013:0015:5017:10
    3,300円
     
    成田空港第3ターミナル16:0017:0018:0019:4520:55
    成田空港第2ターミナル16:0517:0518:0519:5021:00
    成田空港第1ターミナル16:1017:1018:1019:5521:05
    川越駅西口18:1519:1520:1521:4522:55
    3,300円
  •    
  • 成田 <- 所沢(東所沢・和光市経由)
    所沢駅東口04:4005:4006:1007:0011:30
    成田空港第2ターミナル07:1508:1508:5509:4514:15
    成田空港第1ターミナル07:2008:2009:0009:5014:20
    成田空港第3ターミナル07:2508:2509:0509:5514:25
    3,100円
     
    所沢駅東口12:5014:0015:40
    成田空港第2ターミナル15:3516:3518:15
    成田空港第1ターミナル15:4016:4018:20
    成田空港第3ターミナル15:4516:4518:25
    3,100円
  •    
  • 成田 <- 川越駅西口
    川越駅西口05:2005:5006:3007:3509:05
    成田空港第2ターミナル07:0508:0008:24009:5011:15
    成田空港第1ターミナル07:1008:0508:4509:5511:20
    成田空港第3ターミナル07:1508:1008:5010:0011:25
    3,300円
     
    川越駅西口10:4011:4013:1514:3015:35
    成田空港第2ターミナル12:4513:4515:2016:3517:35
    成田空港第1ターミナル12:5013:5015:2516:4017:40
    成田空港第3ターミナル12:5513:5515:3016:4517:45
    3,300円

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